マイドリームカーライフ


時は小学二年生、
転校して移り住んで間もなく父は通勤の為購入したサニークーペの新車がきた。
それまでミニカーでは遊んでいたがこの時初めて乗った実物の車は衝撃で、
ここが車愛が芽生えた瞬間でその新車の香りは今も忘れることはない。

当時、制限速度40〜50キロであろう2車線の青梅街道を80キロ以上で運転する
父の助手席でスピードメーターチラ見しながら緊張でよく固まってたのですが
「俺は荒っぽいけど安全運転だ」と自信満々に操る父がかっこよく思えた。
今にして思えばよくも子供を乗せてあれだけ飛ばしたなー・・・とあの世の父に
言ってやりたいが同時に助手席で気分は一緒に運転していた自分が本当に楽しかったー。

助手席から降りるとすぐ、今度は自転車で地声でエンジン音を奏でギアチェンジしながら
前も見ず横の車と張り合い全力で漕いでいたので
傍から見ればかなり怖い少年だったのではと・・・

16になると同時に待ちに待っていた自動二輪の免許取得とバイク購入計画を以って
厳格な父を説得してみるも、結果は原付免許取得のみだ。話にならない。
反抗期の俺は母を抱き込み借金とバイトで免許とバイク取得を強行した。

父に絶対ばれないようにバイクライフを満喫することは高校生には骨であった。
青春とおさえられない乗物愛を満たしにかかった代償は大きく
結局経済的にも自力では1年乗り切れず借金を背負い母には迷惑をかけた。

社会に出てからは現在までマイカーを保有しない期間はないが仕事や経済状況で
ボロボロのセダンから独立後の最盛期には2000万のベンツ迄
何台乗り継いだかわかりませんが、今後も私の車好きは変わらないだろう。
少しでも高性能車に魅せられ、求むるマイハートは
自身のエンジンでもあり原動力なのですがダメですかね?・・・

よしっ!車道楽できるくらい頑張ろっ!!

小学校の卒業文集には夢が書かれていて・・・「F1レーサーに・・・・! と」




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